![]() チェーン店では一番好きなカフェかも♪英國屋♡ 日本に帰国してから、様々なオーケストラにエキストラで出演させて頂いたり、教習所にも通いながら、練習、リハーサル、東京にも出向いたりとバタバタですが、時間を見つけては古い友人達と再会したり、とても充実した日々を送っています♪ 先日は、ベルリンで仲良くしていたチェロ仲間、Yやさんが大阪に来ていたので、懐かしの英國屋でランチをしました!英國屋はゆったりした空間でとても落ち着きます。もう一人のベルリンチェロ仲間のKたさんも大阪にお仕事でくる事があったり、私が上京する時など、よく会います。ベルリンのつながりはとても濃く深く、ベルリン時代の友人は一生の友達でしょう。。本当に永遠と気兼ねなく話せる!何でも話せる!そんな友人と会って話すのは何よりも心の支えとなり、生きる活力となります。 今回Yさんとは難波で待ち合わせ。地元のくせに、全くナビにならない私。唯一知っている(苦笑)難波シティの英國屋さんでランチしました♪英國屋は雰囲気がとても落ち着いていて、ランチも美味しいし、チェーン店では一番好きなカフェかもしれないです♡ 隠れ家カフェとか、これから色々発掘したいです♪どなたか、大阪で隠れ家的な落ち着いたくつろげるカフェ、ご存知でしたら教えて下さい〜♪ 教習所、気合いで頑張って通い続け、残すところ、学科一時間、それから路上での技能授業は自主経路と高速教習だけです!7月には終わらせたかったのですが、残りの授業は個人で予約できないので、せっかく時間のある来週に授業があまりとれないのが辛いですが、なんとか8月中には教習所とさよならしたい!とります!乗ります!走ります! 先日は神戸市室内合奏団さんのコンサートにエキストラで出演させて頂きました〜♪30周年記念ということで、管楽器の入った大きな編成。指揮は90歳になられるボッセ先生。90歳になるのに、まだまだ指揮を続けようと思われるその音楽への思いにとても感激しましたし、そんなお方の元で演奏できるなんて、とても貴重です、ありがたい気持ちになりました。それに日本での初めてのオーケストラでの仕事をこんな素晴らしいところでさせて頂けて幸せでした♪神戸室内さんどうもお世話になりましたM(_ _)M コントラバスのハセガワさんと昔話で盛り上がってしまい、写真を色々撮ろうと思っていたのに、これ一枚だけ(- -;)↓ ![]() 演奏してきた写真がなく、お茶した証拠写真しかありませんが。。。(◉◉;) 神戸文化ホールの近くにとっても素敵なカフェがあって、連れていってもらいました♪神戸は素敵♪ さて、今週は中断していた教習所通いに、リハビリ、それから富田林市文化振興財団さん主催のアウトリーチ活動で小学校に演奏しに行きます。それから、マーラーチェンバーオーケストラが来日しています!コントラバスの友達が来ているので、大阪案内をしようと思います♪といっても、過去にも、ドイツ人を案内する予定が、大阪をあまり知らない私は結局その友人に逆に連れて行ってもらうという失態もありますので、今回はちゃんと調べていって、案内しようと思います。。。笑 教習所は今、第一段階の授業全て終えたので、仮免検定を受けないと前に進めない〜!頑張ろう。試験問題集を解いているところですが、やっぱり勉強って本当に嫌い!!!!笑 ものの5分でうつらうつらとしてきて気づいたらベッドに横たわってます。。。。あああああ先が思いやられる。。。勉強はきーらーいーだーーー!生まれつき嫌いだから、無理っ ![]() 日本に帰国してから、すでに一ヶ月近くになります。最後のベルリンでの毎日がとても濃く、よくわからないまま、あっという間に日本に帰国、だったのでなんだかまだ一時帰国のような気分。 日本で心機一転、ブログも新たに開設するはずが、腰が重くって。。。(*-*;) それよりも!実際、腰は重いどころか痛くて大変だったのです。 帰国後すぐにびわ湖ホールのフォルジュルネで演奏させて頂きましたが、その後は3週間ほど、チェロくんとは目も合わせていませんでした。。(苦笑) 原因は色々あります。 疲れもたまっていたのですが、それよりも、腰の痛みがひどくてチェロを弾くどころか、椅子に座ってるのでさえ、辛いくらい重症でした。 もともと、軽い脊柱側湾症で、体が歪んだ上に、チェロの演奏でアンバランスな筋肉の使い方をし、背中を痛めていました。でも、ストレッチと筋トレで解消できていたのですが、半年前にベルリンのジムを解約し、それ以来、家で出来るはずのストレッチや筋トレも怠り気味、そしてチェロをたくさん弾いていたので、悪循環。ついに腰にまで痛みがきてしまいました。 父親もずっとお世話になっていた整形外科さんで診てもらい、4年前のレントゲン写真と見比べると、背骨の曲がり具合は全く変わっていませんでした。アスリートと同じです、と言われました。結論はやっぱりストレッチと筋トレするしかない。てことで、早速リハビリも受けて、腰痛を防ぐためのストレッチを教わりました。 それから、近所のジムにも早速入会。筋トレと水泳で体力づくり、頑張ります!音楽家は体力なしではやっていけない。それにチェロのように力もいる楽器を弾くならなおさら、体力つけないと、音が出ない。でも、近所のジムは設備はいいけれど、私がベルリンで愛用していたマシーンがない!!泣 これは結構ショックでした。横腹と背筋を鍛えるマシーン。といっても、シットアップベンチに傾斜つけたような単純なマシーンなんですけど、通販でも見当たらない。。ドイツにしかないのか。。。 とにかく、水泳で基礎体力をつけ、ストレッチで体をほぐし、筋トレで筋力をつける!時間がとられるけど、私はこれをしないと、きっと音楽家人生危ぶまれるので、やるしかないです。スポーツはもともと好きなので半分趣味にもなってますが、、笑 それから原因の最後はチェロ。もう数ヶ月も前からチェロの鳴りがよくなかったのですが、いつもチェロのせいにしていても仕方ない、チェロが応えてくれなくても、いい音をつくる!と頑張っていたのですが、実際鳴ってない。。。ということで、チェロを診てもらいましたところ、やはり重症でございました。古い楽器は本当に大変です。一週間入院したのち、生まれ変わって手元に帰ってきました!そして、前からの悩みの種だった、ペグも切断してもらい、とっても構えやすくなりました! ドイツではよくペグを切断しているチェリストを見かけたのですが、日本ではあまりないらしく、切断したペグをまわせるように部品は東京から取り寄せ。見た目がちょっと寂しい感じになりましたが、このペグも、私に無理な体勢をさせていて、背中や腰の痛みの原因となっていたかもしれないので、これで様子をみてみます。 何をするにも体が資本!健康で元気でいる事が何よりです。 ドイツ、最後の思い出アルバム ![]() ドイツでの丸8年間の生活を終え、母国、日本に帰還いたしました! 日本に帰ってきて、町中を歩いて思うこと。 1)信号がながい(ベルリンの信号は鬼のように早くて、小走りしないと、一度に向こう側までいけません。苦笑) 2)日本語しか聞こえてこない(当たり前だけど) 3)カラスが多い 4)小柄な人がほとんど(ドイツ人が巨大すぎるのでしょう) 5)車のクラクションが滅多に聞こえてこない(ヨーロッパでは常にクラクションが聞こえてきます。短気?) 6)中学のださい配色のジャージがそのままだった(そしてその着こなし方も変わってない、笑) 7)水が柔らかいので、シャンプーだけでもなんとかなる。ドイツの水でリンスやトリートメントをしないと大変な事になります。 ざっとこんな所です。まだ帰ってきて2日しかたってないので、これからもっともっと色々な事に気づくでしょう。今までは一時帰国だったので、あまり深く気にとめていませんでしたが、改めてここで生活すると思うと、色々な事に注目してしまいます。ドイツを去るのは辛くて、色々なものが恋しいかったけれど、やっぱり母国は日本!ご飯が美味しいし、何もかも対応が丁寧だし、気遣いが嬉しい。そしてこれからいろんな地で色々な人と出会い、たくさんの人達と音楽を共有していけると思うと、ドキドキわくわくです! さて、時差ボケがまだ完治していませんが、早速、29日の金曜日はびわ湖ホールにて開催されている音楽祭”ラ・フォル・ジュルネ”の中のロビーコンサートに出演します! 15時15分ロビーにてピアニスト塩見亮さんとベートーヴェンのピアノとチェロのためのソナタ作品5の1番を演奏させて頂きます♪大好きなベートーヴェン。張り切って演奏したいと思います。 公式サイトはこちらです→http://lfjb.biwako-hall.or.jp/ ![]() 4月15日、ベルリン芸大の学生と教授を中心としたチャリティーコンサートです。 考案したのは私達学生です。自分達だけで企画・運営するつもりだったのですが、大学側が全面的に協力してくれる事になり、かなり大規模なコンサートとなりました。プレジデントに音楽部学長に事務局、それから出演者の日本人学生はじめ、教授の方々に本当に感謝してもしきれません。日本と関わりの深いベッチャー先生やドヴァイヨン先生は多忙にもかかわらず、快く出演を引き受けてくださいました。本当に頭が上がらない。。。>< 素敵プログラムが出来たので、いいコンサートになると思います! 前回の3日の教会でのコンサートもとてもいいものとなりました。お客さんはほとんど教会関係者のみの数十人でしたが、プログラムがよかったのかとてもいいコンサートになり、終演後、たくさんのお客さんとお話しをしましたが、来て良かったと言って貰えました。そして募金が想像以上に集まり、本当にやり甲斐のあるチャリティーコンサートでした。 音楽は人を幸せにする事が出来、募金につなげる事もできる、素晴らしい手段だと改めて思いました。今回の震災の規模からすると私達のコンサートからの収益金は本当に微力ですが、どこかで少しでも役立つ事を祈っています。 昨日、今日は、刷り上がったポスターを町中に貼りに行くという作業をしました。こんな事したの人生で初めて。意外と大変でした。。。残すところ、あと一枚!目立つ所に貼れるよう、頑張ります! ![]() 友人のマライケが私も日本のために何かしたい!と教会でのコンサートを企画してくれました。感謝です。私達トリオのメンバーにチェロの友達もう一人とコントラバス奏者の友達を迎えて5人のコンサートになります。明後日の日曜日のコンサートなので、かなり急ですが、一応掲載させていただきます♪ケーキの販売もあるそうです♪ プログラムはこちら こんなに恐ろしい事が起こりうるなんて誰もが想像できなかったと思います。 ドイツにいても、インターネットでUstream配信を見ることが出来、11日以降、何も手がつかず、ニュースにしがみついていました。避難所で過ごしている人達の事を考えると本当に心が痛みます。 命は助かっても家を失ったひと、家族を失ってしまったひと、色々な人がいると思います。そしてこれだけ恐ろしい事が東日本で起こっていても、時間は流れ、世の中は動いているのです。 世の中は止まってはいけないのです。それが現実です。 それでも、無力ながら私達にせめて出来ることを、と友人のアイデアから、チャリティーコンサートを行う事になりました。最初は、大学のホールを借りて、自分たちだけの力で運営するつもりでしたが、やはり演奏家の私達はコンサートの仕組みをわかっているようで、わかっていないものです。コンサートの企画、運営、さらに演奏もする、というのはとても大変な事だと思い知らされました。 結局、大学の方から全面的に協力を得ることとなり、大学の催し物となりました。企画者である私も含め、友人達と、大学の音楽学部長やマネージメント、マーケティングの方達と会議を重ね、いいコンサートになるよう話し合いました。ベルリン芸大の大ホールを使い、スタンウェイ社の協力も得、ベルリン・ブランデンブルク放送局も招いての大規模なコンサートになりそうです。集客も期待できそうで、たくさんの募金が集まる事を願っています。勿論、日本人として、個人で募金をする事も大切だとは思いますが、それには限界があります。(お金持ちの人にいっぱい募金してもらいたいよね、と友人と話していました、、笑)それでも、ちりも積もれば山となる。個人が皆、少しずつ募金して、それから、私達音楽家がコンサートをし、いい音楽を提供し、そしてお客さんがコンサート代の代わりに少しでも募金をする。これが世界中で行われているとすれば、大変大きな助けになるのではないでしょうか。 現に至るところでチャリティーコンサートが企画されています。大学のコンサートは4月15日(近日詳細を載せます)ですが、ドイツ人の友人がもう一つ企画してくれるので、4月3日には私のトリオのメンバーにコントラバスの友人も交えて、教会でもチャリティーコンサートをします。 完全帰国を目前として、とても忙しくなりそうですが、精一杯頑張ります! 皆で力を合わせて頑張れば、いつかきっとまた幸せが訪れるはず。 明るい未来を信じて頑張りましょう。 ベルリン今更ツアー(ベルリンに住んでいながら行った事のない所を巡るツアー)を帰国前に実現したかったのですが、この分だと時間がなくて出来ないまま終わってしまいそうです。。。とほほ。それでも、私の第二の故郷、フライブルクには絶対行かなければ! 日本へ帰るまでもう数週間です。まだこっちで生活しているというのに日に日に、ドイツの全てのものが恋しく感じます。電車の窓からのベルリンの風景も、安くて美味しいビールも、静かな日曜日も、そしてベルリンの酔っぱらい達までもが、すでに恋しい。 こんなんで日本に帰って大丈夫なのか、と思いますが、きっと私の事だから、日本に帰ったら、もうドイツの事を忘れているかもしれません。笑 大抵、大騒ぎして周りに心配かけて、次の日になると、本人が忘れて一番けろっとしている、というパターンがおおかったので、皆様、どうかご心配なく。。笑 そんなわけで、チャリティーコンサートの準備、頑張ります! 大変ご無沙汰しておりました〜!久々の更新、そしてご報告です♪ ![]() 2月5日にベルリンでピアノトリオのリサイタルをしました♪エイヴァンとユージンと。 ドイツでの8年間の勉強を終え、日本に完全帰国する事になりました。お父さんの事も考えるきっかけとなりましたが、自分の将来を考えた末の答えです。 18歳の時に渡独し、現在に至るまでの8年間、今までの人生で一番濃い時間をドイツで過ごしました。あまりにもたくさんの人々と出会ってしまい、あまりにもたくさんの素敵な思い出があるので、ドイツを去るのは私にとって、次に乗り越えなければならない大きな大きな壁です。日本での新生活を考えると心がわくわくするのですが、ドイツを去る事を考えては、苦しんで、の毎日です。2月5日にはベルリンでピアノトリオのリサイタルがありました。大好きな二人との最後のリサイタル。メンバーと解散するのは本当に辛い。それでも、ドイツ生活の終止符として、最高のメンバーと共に素晴らしい先生の元で勉強し、ベルリンでリサイタルが出来た事は私にとって最高に幸せな思い出となりました。私のベルリンの友人や知り合いが皆、聞きに来てくれました。本当にたくさんの友人達に囲まれたコンサートはなんだか私の卒業式のようでした。 ![]() 100人程度が定員のアトリエでのコンサートだったので、人が溢れかえってしまい、ピアノの下にまで人が。。 思い起こせば2003年のこと、留学当初は明日の事すら考えずに、ひたすら猛突進する勢いでその瞬間を懸命に生きていました。あの頃は26歳の自分の事なんて想像すらした事がありませんでした。語学の勉強にチェロの練習に夢中になり、気がつけば、もう8年も勉強をしていました。まだまだ勉強したい。なんて、未熟な私は学生でなくなるのが少し不安ですが、これからは一人の音楽家として社会に出ていかなければならない。家族の近くで、母国で、自分の出来ることを少しずつ見つけていきたいと思います。日本の皆様にはこれからうんとご迷惑おかけするかと思います。まだまだ未熟な私でありますが、何卒宜しくお願いいたします。 ![]() リサイタル 思い出アルバム
長らく更新がなく、ご心配おかけしました~。
あれからもう三ヶ月が過ぎました。普段の生活に戻り、私は元気にやっています。 9月の出来事がやはり、夢であったような気がしてならず、お父さんがこの世にいないという事を信じる事が出来ません。周りからお供えのお花を頂く度に、やはり現実なのだ、と痛感しています。 11月にはお父さんの誕生日だったりで、お父さんのドイツ人の友人達からまたメッセージをいただいたり、色々な父を知る人とまたお話しする機会がありました。 あの事故さえなければ、今年の誕生日も大好きなドイツのフランケンワインと黒パンでお母さんとひっそりと祝っていたんだろうな。 留学時代のドイツ仲間とのつながりが強く、周りの人はよく、お父さんは何年もドイツで暮らしていたと思う人が多いようですが、実際二年くらいだったのかな。昔から毎日を人の何倍もの濃さで生きていたようで、お父さんのそのパワフルな姿はドイツでも誰もが忘れられないよう。ドイツに留学した時も、お父さんのドイツの恩師であるクラウス先生はクラスの生徒達に日本からすごいやつがくるぞ。と言ってクラスの皆は脅されたと聞きました。同門だったBさんはお父さんの鬼のような自分への厳しさをみて、大変影響を受けたと仰っていました。 一人、川に飛び込んで泳いでいたり、月曜日から金曜日は語学学校とコントラバスの練習に闘魂し、土日は丸々2日間、ビクともしないで岩のように寝ていたそうで、そんな普通ではないお父さんのドイツ時代のエピソードを聞いて、びっくりしました。 私にとっては、コントラバスを弾く、ただのお父さん。当たり前のお父さん。どの家庭にもこんなお父さんがいるものだと思っていました。亡くなってから初めて、色々な方達とお話をする機会があり、尋常ではなかったあの人の生き方にただただ呆気にとられました。 その1秒たりとも気をぬかなかった人生は、死ぬ直前まで続いていました。50過ぎても、遠くから見ると若者が歩いているように見えた、とよく言われていましたが、とある新聞記者さんがお父さんにその若さの秘訣を尋ねると、お父さんは歩く時はインナーマッスルを鍛えながら歩いていたそうです。座りながら居眠りしているのかと思えば、瞑想をしていたそうです。 厳しい父親(私の祖父)に反対され続けながらもコントラバスを弾き続け、自分には鬼のように厳しく生きてきたお父さんだけど、その反動か娘の私をちょっと甘やかしすぎたのではないかなと思います。 お父さんは思い返してみると本当に不思議な存在でした。 お父さんの人生を変えた高校でのコントラバスとの出会い。その高校時代の友人の方達が書いてくださった雑誌の追悼記事が先日送られてきました。そこでその友人の方達と楽しそうに演奏している数年前の写真の横には世界一流のプレーヤーとアマチュアアンサンブル。と書いてありました。お父さんにとっては子供も大人も、プロもアマチュアも関係ない、とにかく、相手の目線に合わせてその人と会話をするのが得意な人でした。娘の私には私に合わせた目線。だから、おっちょこちょいなお父さんしか見えてなくて、いつも、”も~お父さん!”なんてつっこんでばかりでした。。どれほどの偉大な人間であったかという事には気づかずに。 そして、お父さんはどんな人間でも、その人のいい所をすぐに見つけてしまう才能がありました。 涙もろいお父さんは他人の小さな悲しい出来事にも密かに涙していました。 そんなお父さんの血を唯一受け継いだうちの一人である私だけど、 一生お父さんのような人間にはなれない、どんなに頑張っても足下にも及ばないだろうと思いました。 この三ヶ月、私は神を恨んだり、悪夢から抜け出せぬ思いでいたけれど、色々思い返してみて今ではむしろ、お父さんがいた空間こそが長い夢か幻だったような、そんな気持ちです。 死。それは遅かれ早かれ誰もが経験しなければならない事で、残酷ながらも時間が解決するものではない、という事も実感しています。これは発病した人もそうでしょう。病気になった人はその病気をどう受け止めるか。神様や周りのせいになんて出来ないし、その先の人生、時間を自分のためにどう過ごすか。 意外と?現実的な私は神や霊といったスピリチュアルな存在なんて信じていなかったけど、お父さんが亡くなる前に、不思議な事がたくさん起こっていました。こないだまではそんな事思い返す余裕もなかったけれど、死の意味について深く考えてきた最近、思い返してみれば思い返すほど、その不思議な偶然が重なって父の死があったように思います。 前回、私が最後にお父さんと過ごした一時帰国の春、生涯で最初で最後となった、父と娘のデュオリサイタルがありました。そして私がベルリンに戻る日、忙しくていつもなら絶対に来れないお父さん、その日だけ仕事の都合で空港まで見送りにきてくれました。そしてなぜか私と写真を撮りたがったお父さん。機内に入ったら寝る用意万端の格好だった私はふくれた顔でお父さんと最後に写真をとりました。ぶれてて結局私の顔はあまりよくうつってなかった。笑 その日がお父さんを見た最後の日となりました。 何十年も、お父さんとお母さんが一緒に晩ご飯を食べない事はほとんどなかった。出張の時も楽器の運搬のためにお母さんは付き添っていたし。でも、ここ一年くらいは、愛知県芸のレッスンのため、名古屋泊まりが多く、お母さんが一人で過ごす日がたくさんありました。お母さんが一人で生きていくための訓練だったかのよう。 そして、お父さんが旅立ったのは、車を止めてあった所まで山をほとんど下りきった危険の少ない、なだらかで美しいブナ林が広がる山道だったそうです、転倒しただけで二度と起き上がってきませんでした。父とその山をよく知る方はあれ以来、その場所へ何度も足を運ばれているそうです。そしてそのブナ林で起こった不思議な父の死について考えられているそうです。 誰よりも若く、元気で生命力も人一倍あったような人が転んだだけで亡くなってしまいました。 この世とかあの世とか、って何なんだろうって思う。 実はあの世の方がもっとハイテクで、この世に生きてる私達はあの世から馬鹿にされてるかもしれない。 あの世からしてみれば、この世の人生なんてあっという間もないくらい短いかもしれない。 なんて現実的な私も色んなあの世の妄想してみたり。。。 あの世に行きたい、とか思ってしまう人って、あの世の方がいい世界かもしれないとか妄想しちゃうのかな。私はお父さんに会いたいとは思っても、この世でやりたいこともまだまだいっぱいあるから、生きれるまでこの世で精一杯生きよう。 ベルリンに暮らして、丸四年が過ぎました。フライブルクにいた時間と同じだけもうベルリンにいるなんて信じられないです。4年もたつと、生活の基盤が完全に出来、多くの知り合いや友達にも恵まれ、色々なお仕事させてもらったりと、忙しくなってきました。最近はベルリン芸大で組んでいるピアノトリオだけでなく、他にもたくさん室内楽をする機会に恵まれ、充実した日々を送っております。 2010年、私にとって、大きな人生の区切りとなりました。いつかはやってきたであろうこの不幸がこんなにも早く、幸せいっぱい感じていた自分に起こるとは思いもしませんでした。 2011年、私達家族にどうか幸せが訪れますように。 そして皆様にとっても、健康で幸せな2011年となりますように。 あれから早くも一ヶ月が経とうとしています。 時間は皮肉にも流れ、そして地球も動いている、という事を実感しています。そして私も泣いてばかりはいられない、生きて行かなければならないと思い、生活を徐々に戻して行く努力をしています。 皆さん、本当にたくさんのメッセージやご訪問にブログへのコメント、有り難うございました。特に、父をよく知る人とお話をするのは、思い出話が楽しい反面、まだかなり辛い気持ちになってしまいます。ベルリンの私の家にも父を直接知らないお友達まで父の写真を拝みにきてくれます。(お父さん、あなたは本当に幸せな人です。笑)突然死というのは、やはり、信じられないという人が大半のようで、私達もそうですが、今でも、”本当に信じられない”というメッセージが届いたり、父のドイツでの恩師であったクラウス先生もドイツの知り合いに、未だに、誤報ではないかと電話で聞かれたりしていると聞きました。先生夫妻には私から直接お手紙を書きました。近々、直接会いに行けたらいいな、と思っています。 ベルリンに戻って一週間弱が経とうとしています。ベルリンに戻れば、父の面影がない空間で、少し辛さが軽減するのではと思っていたのが、日本にいた時よりも苦しみが重くなってしまいました。というのも、今、ベルリン芸大では、大規模なコントラバスフェスティバルが開催され、世界各国からコントラバスプレーヤーが集結し、朝から晩までコンサートやマスタークラスが行われています。久々に学校に足を踏み入れるとそのフェスティバルで校内はコントラバスの音や有名なコントラバス弾きにたくさんの学生、とにかくすべてがコントラバス一色、すごい盛り上がりよう。本来なら私も興奮する所でしたが、もともと父も招待されており、演奏会をする予定だったので、余計にその場にいるのが苦痛で、学校には近寄らないようにしていました。それでも、父の40年来の大親友であった、B屋さんが来られていると聞き、B屋さんには会いに行かなければと勇気を出して行ってきました。 しかしながら、B屋さんの演奏会がはじまってコントラバスの音色が聞こえてくると、そこにいるはずだった父の姿がない事のあまりの苦しさに失礼ながら、ホールの中にいる事が耐えられず、出て来てしまいました。B屋さんには、後で、”一生懸命弾いてたのに〜!”と言われました、笑。 どのみち、後になって父の職場でのオーディションの都合で、このフェスティバル(+計画していた家族旅行)は泣く泣くキャンセルしていたとはいえ、たくさんのベースプレーヤーが集まり、そして何よりも、ドイツにずっと来たかった父、ドイツビール大好きだし、ドイツ語も一生懸命勉強を続けていたし、このフェスティバルは父にとって夢のような楽しい空間であったに違いないと思うと、私にとってこのフェスティバルの盛り上がりようはあまりにも残酷でした。 結局、その日は全ての催しが終わってから、B屋さんと再度待ち合わせて、他のベースプレーヤーに混じり、お食事に連れていって頂きました。それでも、せっかくの楽しいはずのパーティーも、父の話になると父を知ってる人もいたせいか、重く暗くなってしまい、関係のない人まで泣かせてしまいました。(すみませんでした。)それでも、B屋さんから聞いたドイツ時代での父の話は初めて聞く事も多く、とても楽しかったです。昔から誰よりも元気でアクティブ、そして腕立て伏せならぬ、指立て伏せをしていた話とか、ほんとうに父らしいと思えるような微笑ましい話ばかり、辛くても会いにいって話が出来てよかったと思いました。 突然死というのは、本人の苦しみが少ないとはいえ、納得するのにやはり時間がかかります。私もふとどこかで生きているのではないかと父の死を忘れてしまうくらい気が楽になって平常になったり、お葬式や火葬場での出来事、自分の目で確かめた現実を思い出すと、またうっとなり、といった繰り返しです。写真を見れば、今にも動き出しそうな笑顔。そして大きな声が聞こえてきそう、コントラバスの音も耳に焼き付いています。これらはまだ自分の生きている空間に存在し、この世から消え去ったのは父の体だけ。そんな状況です。 いつも忘れ物や置き土産がひどかった父、(笑)しまいには私たちを忘れていってしまい、嬉しそうに笑っている父の写真に向かって、何度も”なんで私たちを置いていってしまったの!”と怒っていましたが、父が最後に私たち家族に何よりも大きな置き土産をしていってくれた事に気がつきました。それは優しさです。父がたくさんの人に優しさを振りまいてくれたおかげで、私たちにその優しさが今、返ってきています。 この例えようのない苦しみと辛さも、周りの友人や父の知り合い、友人のあたたかさに包まれて、生きる力を与えてもらっているような気がします。今は、父の娘として生まれてきた幸せに感謝をし、そして、今私たちを支えてくれる皆に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 お父さんが死んで、ベルリンの友達が皆、私を心配して外に誘い出してくれます。おかげで皆とのデートで毎日忙しいわ!笑 お父さんは台風の目。本人は穏やかでも、いつも私たち(特に母)はお父さんが作り出す、無意識の強風の中で振り回されていました。死んでもお父さんに振り回されてる感じがします。ほんとにもう。
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